浄瑠璃

2006年08月22日

歌は、節をつけた声を出すもの全てを意味するのだそうで、
唄は、邦楽の伴奏がつくものは全て唄になります。
もっとも詩吟などのように吟じるものは唄うといいませんし、
浄瑠璃なども語るといって唄ではありません。
でも、唄浄瑠璃は長唄なので唄います。
音色もちゃんと長唄に合ったお三味線で弾いているのよ
「心中初午桜」は全てが古典で、全てが新作です。
楽しみにお出かけ下さいませ。
それにしても口に貝とは
日本の漢字はやっぱり風情がありますよねぇ。



horikawa_g at 01:09コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月19日

伝統文化放送の歌舞伎チャンネルで
唄浄瑠璃狂言「心中初午桜」の公演情報を流しています。
日本の伝統である黒御簾音楽と
女優さんとのコラボレーションのお芝居は
おそらく、日本で初めてのことです。
全てが古典であって、全てが新作!
関係者一同、張り切っています。
伝統文化放送の皆様、ご協力ありがとうございました。


horikawa_g at 15:34コメント(0)トラックバック(0) 
89a44443.jpgさあ、さあ、さあ、聞いてもらいてぇな。
お三味線と尺八の、佐之義さんと松本さんだよ。
どっちが良い男かって?
そりゃ、じっくりとっくり、舞台を観てくんなぁ。



horikawa_g at 15:02コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月18日

唄浄瑠璃狂言「心中初午桜」の紹介用小見出しに書いてある、
あの世とこの世の狭間で彷徨うがきあみの姿がふたつ…の
がきあみ、って何? とよく聞かれます。
小栗判官の物語を知っている方には説明しやすいんですけど、
ふつう、知らないと思うのでちょっとご説明。
地獄に落とされた小栗が、忠義の家来の嘆願でこの世に戻った時の姿が
がきあみ つまり、餓鬼道の餓鬼と阿弥陀の阿弥をつなげた言葉で、
餓鬼阿弥、になります。
で、がきあみの姿 となった小栗を救うのが照手姫。
照手姫の献身が阿弥陀様に通じて人間の姿に戻れて、幸せになるという仏教説話です。
で、私が拡大解釈をしまして、
地獄に落ちた姉妹の情念を残したまま救われずにいる姿が、
がきあみの姿 というわけです。まあつまり、
怨霊となってしまったもののけの姿とでもいいましょうか…
わかっていただけました?
えっ、凝りすぎ? 説明聞いてもわからない? そうかしらねぇ…。う〜ん。
やっぱり、もっともっと日本の古典を知ってもらうために頑張るぞぉ。



horikawa_g at 20:55コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月13日

「心中初午桜」を9月1日と2日に
横浜の相鉄本多劇場で上演することになっていて
案内状を出した東京に住んでいる友人いわく
なんでそんな遠いところでやるの?
渋谷から東横線で30分くらいの距離なんだけどなぁ
旅行する気分になるらしい…
それにさ
劇場までだって、歩いて3分のとこだよ
ホント劇場探すまで苦労しましたよ
それにね、劇場には格というものがあって
金を出せば貸してくれるというものじゃないのよ
貸す相手をちゃんと審査するんだから
相鉄本多劇場は
かの、有名な下北沢の本多劇場の系列
えっ?
そこにすればよかったのに?
これだからなぁ
だから、
いろいろと苦労がやっぱりあって…


horikawa_g at 22:08コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月09日

やっぱり筆頭は「お岩さま」でしょ。
鶴屋南北の「四谷怪談」コレ、知らない人の方が少ないかもね。
取り憑くといえば、「牡丹灯籠」も私の3本指に入りますね。
惚れた男に取り憑いた娘の物語だけど、これにまつわる、他にもいろいろな因縁話があるのよ。
怖いよぉ。めちゃ面白いけど…。
とにかく、歌舞伎にはあの世の人間やら、妖怪変化がいっぱいでてくるのよね。
そうそう、「義経千本桜」に出てくる忠信なんか狐だよ。狐が化けているの。
鼓の皮にされゃった親を慕ってね。初音の鼓を打つと出てくるのよ。
健気なところがほんと可愛いでしょ。
やっている役者は可愛くない? まぁ、まぁ(^^;)
歌舞伎は難しいなんて勘違いしている人が大勢いるらしいんだけど、
はっきり言って、漫画、劇画の世界。
こんなに面白いのに、もったいないって、いつも思うのよね。
確かにね、演じる方は大変な修行がいるし、
誰でもできるものじゃない。
でも、観る方はお気楽でいいのよ。
楽しめなきゃ芝居は意味ない。そう、思わない?
ところで、武士階級で流行っていた能、ね。
これ、神と世俗の者のことを物語っているわけでありすが、
そもそも日本人って、支配階級も下々も身分に関係なく、
サダコのビデオも流行ったし…。
やっぱり怨霊ごとが好き、な、国民だと思う…。


horikawa_g at 23:57コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月08日

よく聞かれるのが、浄瑠璃は人形のアレでしょ? 
まあ、確かにそうなんですけどね。
でも文楽の義太夫は浄瑠璃の一部なわけで…。
もともと、浄瑠璃御前が始めた浄瑠璃に三味線の伴奏がついたことから、当時の人々の絶大な支持を得たらしい。
三味線は当時、中国から琉球を経て伝わった(まだ確証はないらしいけど…とにかく日本にやってきた)とっても新しい楽器で、琵琶法師が工夫を重ねて日本独特の今の三味線を作るわけだけれど、当時としては、エレキギターが日本で熱狂的に流行したのと同じ現象があったのじゃないかと思う。
その中でとくに一番人気が、竹本筑後掾の起こした義太夫節。
これがまたなんというか、怨み、嘆き、悲しみを太棹の三味線を伴奏に語るという、まあ、同じ三味線でも種類があって、太棹というのが、重い、渋い音でね。べべ、べんっというか…機会があったら聞いてみて…文字じゃ伝えられん(^_-) 
この音色と哀切な物語が人々の心を捉えたわけですね。
で、この義太夫で語りながら人形を操ったのが大大ヒット、それが人形浄瑠璃でありまして、今の文楽なのですよ。
えっ? なんで文楽という名になったかって? 
なんでも、人気があった頃は人形浄瑠璃を専門に上演している小屋(劇場)が山ほどあったのだけれどね(何軒あったかまでは知らない)
その中に文楽という名の小屋があって、まあ、世の無常というものですかね、大衆は飽きっぽいものらしく人気が落ちてしまうと他の小屋はみんな廃れて、ここだけやっていたので、文楽といえば人形浄瑠璃と、そういうことらしい。
つまり、マニアがいてくれたお陰で日本の伝統は続いたわけだ。
そう考えれば、これを読んでくれている貴方さまも私も…。
てへへ、話がそれちゃったけど、ちなみに、パンフレットを見てもらえれば、今でも竹本***太夫と名前が書いてあります。
豊竹? 野澤? 他にも違う名前が…。いろいろな流派がありまして、いやぁ、やっぱり伝統は凄い…つくづく思いますね…。



horikawa_g at 23:17コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月07日

浄というのは清められた濁りのない状態を指す意味だし、瑠璃というのも青く清浄なイメージの艶のある石なわけで、出雲の阿国の元祖みたいな女性だったのではないかと思う。
1600年頃に歌舞伎を出雲の阿国が始めたとされているのだけど、浄瑠璃も浄瑠璃御前物語という御伽草子を語ったのが始まりとされていて、それが室町時代頃と伝えられているから、阿国より200年以上も前に活躍しているのよね。
阿国は出雲から来た巫女ではないかといわれているけど、もしかして浄瑠璃御前という人も存在していて、彼女の語りが浄瑠璃御前物語になったのではと想像してみるのだけれど、名前もなんだか神に仕える女性のような気がするのは私だけ?      
踊りも天の岩戸の前で天佃女命が踊ったのが始まりとされているし、芸事の元祖が神に仕える女性というのは、やっぱり偶然の一致とも思えない。
瑠璃の玉のネックレスを首に飾った清らかな若い女性が、神の詞を伝えようと御伽草子に節をつけて美しい声で語り始める。と、人々はその声に魅せられて集まってきて聞き惚れる。
そしていつの間にか浄瑠璃御前は美しいお姫様の物語として法師達も語るようになった。で、浄瑠璃はあちらこちらで流行。憧れて、美しいものを真似する者はやっぱり昔も大勢いた。今も残る各流派の多さをみると…美女は名を残すのか…?


horikawa_g at 21:04コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月06日

同じひとりの男を愛した、あの世とこの世を彷徨いつづける姉妹の情念の物語。元禄から明和にかけ流行した長唄の浄瑠璃を使った女優二人芝居。国立劇場清栄会奨励賞受賞の劇作家、堀川登志子が書き下ろした新作の芝居です。

horikawa_g at 18:31コメント(0)トラックバック(0) 
唄浄瑠璃って、文楽の浄瑠璃なんでしょう? とよく聞かれるんです。でもね、唄浄瑠璃といいますのは、長唄の浄瑠璃なんですよ。詳しいことは次回に…


horikawa_g at 18:30コメント(0)トラックバック(0) 
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