2019年10月08日

出雲阿国

出雲阿国を素材にした『出雲のオクニ』を公演した。たった2日間の昼夜4公演だが、準備に1年ほどを費やした。
阿国は世界文化遺産となった歌舞伎の始祖といわれる女性で、出雲の巫女だったと云われているが確証はない。いろいろ調べたが生まれも育ちも定かではないのだ。
安土桃山時代に生きた女性であるのは確だ。徳川家康が征夷大将軍の宣旨を賜ったのと同じ1603年に京都の北野神社の境内で《カブキ踊り》を踊って大人気になった。それまでは念仏踊り、小歌踊りなどを囃子ながら踊っていたので、伝助の茶屋のおかかとオクニの若侍姿の踊りは斬新な踊りとして人々の耳目を集めたと思われる。
阿国が生きた安土桃山時代は戦国の下克上の気風がまだ色濃く残っていた時代だ。
織田信長を頂点として豊臣秀吉から戦国武将に到るまで、それまでの権威や権力を打ち破りのし上がった自由闊達な人々が貴族趣味から離れて自分達の好みの文化を作った。
それは武将に限らず、台頭してきた商人や職人、農民に到るまで独自の文化を築いていく。
こうして茶道、立花、書などが独自の道を極めていくことになった。
芸能も神々への奉納の芸能から自分達が楽しむ芸能へと駒を進め、歌舞伎に繋がる阿国の《かぶき踊り》を誕生させた。
さて、現代である。私は何を生みだせるだろうか…


  この三つを私の創作の枷にした。

 1) 出雲の巫女という一般化したイメージから離れること。
 2) 今までの出雲阿国のテーマと違う視点で作ること。
 3) オクニの《かぶき踊り》を新しい工夫で作ること。
 

1の課題。
 出雲の地も戦乱とは無縁ではなく、支配していた尼子一族が毛利元就に滅ぼされている。
 阿国の背景となる時代から戦国を切り離すことはできないのだから、戦災孤児にし、踊りに生きる道をみつけたオクニの成長物語にすると決めた。
『誰しも親を選ぶことはできない。けれども生きるということは自分で自分の道を切り開くことであり、諦めないことだ』とオクニを拾ってくれた尼御前の綾竹から学ぶ。
 これは新しいテーマではないが、それだけに時代を超えた普遍性のあるテーマだと思う。
 人は生まれてくる時代も親も環境も選ぶことが出来ない。けれども、生き方は選ぶことができる。
この世は自分の意志だけでは抗えない不条理に満ちている。それでも、どういう人間として生きるかは選べる。不条理に負けて非難し嘆くだけの人生か、不条理に耐えて自分の道を切り開くか。
 とはいえ、人はそれほど強くはない。いや強い人間もいるだろうけれど、たいていは悩むものだ。それは己自身との戦いなのだから、オクニも悩みながら成長する人間として描きたかった。

2の課題。
 阿国が生んだ《かぶき踊り》は歌舞伎へと発展して今に到っていることを踏まえ、伝承をもうひとつのテーマとした。
 オクニの養い親であり踊りの師として於加賀と、オクニの《かぶき踊り》を伝承する伝助を登場させることで芝居全体の流れを考えた。また、舞台美術も全体を書にすることで伝承を表現している。
3の課題。
 作中に使われている歌も踊りも全て新作にし、今までと違う手法でやることにした。
《かぶき踊り》は、前半をオクニのひとり舞にし、閑吟集を素材にした閑吟歌謡で当時の踊りの風を表している。そして後半を伝助の茶屋のおかかとオクニの若侍のふたり舞にし、これを狂言と歌舞伎を綯い交ぜにした狂言歌謡に仕立てることで新しい踊りを工夫した。
 また、オクニの夫に名古屋山三を登場させているが、役者ではなく義太夫と笛と舞で表現することにした。役者と義太夫の掛け合い、義太夫と笛で山三との情愛を表現している。この時代は囃子が伴奏だったので敢えて義太夫三味線を使用せず、囃子による音楽構成にした。笛も竹笛ではなく能管を使うことで山三のイメージを強めた。
 そして、オクニと於加賀の想いを繋げる《花筏》から始まり、オクニの復活を表す《梅一輪》で伝助に伝承された総踊りで終わることで、オクニの《かぶき踊り》の心を伝えることにした。
4補足。
 衣裳は帯地を使用することでこの時代の華やかさを出すことにした。舞台写真にあるように、デザインは全て役に合わせたオリジナル。 

horikawa_g at 20:59コメント(0) 

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