2010年08月

2010年08月05日

作品が「藤戸」だということと14年ぶりの袴能だということもあって観劇した。流石に亀井忠雄師の大鼓は素晴らしいし、近藤乾之助師の技量の高さに舞台は緊張に満ちていた。けれども、それでも、私は袴能をやる意味については疑問を感じる。能は能面があって成立すると思うからだ。素での上演は仕舞があるわけで、ことさらそれを通しでお客様にお見せする意味が理解できないのだ。削ぎ落とされた少ない動きと能面に感情を移入することで表現されるべきものだからこそ、そこに精神性を見いだす。素の生でやるのなら、能の意味がない、のではないだろうか。
  
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horikawa_g at 22:00コメント(0)トラックバック(0) 
井上ひさし作「父と暮らせば」を観劇した。今回は麦人さんと安藤みどりさんの舞台で内容は原爆被災者の芝居だ。観客席のあちらこちらから鼻をすする音が聞こえる。手前の若い人も横の年配の人も涙が流れてしかたがないのだ。私も泣いた。すでに、戦争を知らない子供達といわれた世代からその子供の世代になっている。それでも、戦争から受けた傷の悲しみは伝わる。知人に誘われて俳優座有志の朗読の会とこの芝居を続けてみたのだけれど、どちらも平和を願う公演だった。

horikawa_g at 10:34コメント(0)トラックバック(0) 

2010年08月02日

この時期になると、日本の戦争責任と被害者のことなどが語られることが多くなる。平和ボケと非難されることがあるが、平和ボケのどこが悪いと思っている。平和だから平和ボケでいられるのだ。平和ボケの国を作ったことは世界に誇れることだと思う。そのことで非難されるゆわれはない。戦争を起こそうとする考え方に賛同する人間こそが責められるべきであろう。戦争によって悲惨な経験をさせられる人々はいつの時代にもいる。戦争こそ憎むべき相手だ。国ではない。正義という名の大義はどこにでもあって、戦争の旗になる。9.11以降、アメリカは泥沼に足を踏み入れてしまった。なぜか? 今も続く戦争の火種は何が原因なのか? 日本の国際貢献とは何なのか? 私は、不思議に思う。日本は憲法によって永久に戦争を放棄した国の筈である。憲法改正だのが騒がれているうちに保安庁はそのままで防衛庁はいつの間にか防衛省に格上げされていた。その原因についてマスコミからは何も聞こえてこない。防衛予算を考えた事があるだろうか。アメリカにいくら払っているか考えたことがあるだろうか。沖縄の基地がなんのために置かれ、安保条約はなぜ必要なのか考えたことがあるだろうか。私はなかった。考えないから、そのことについて深く知ろうと思うこともなかった。平和な国でありつづけると誰も請け負ってくれる者はいないというのにだ。それぞれの思惑があって右か左に簡単に色分けできるほど現実は甘くない。それだけに、現実を知ることは大切な事のように思う。戦争と平和について考て欲しいとずっと地道な活動を続けて来た人達に感謝しつつ、いつまでも平和ボケでいたいと願わずにいられない。この時期は、私のような者にも敬虔な気持ちにさせてくれる。

horikawa_g at 23:05コメント(0)トラックバック(0) 
もう、八月になってしまいました。
みなさんはどんな夏を過ごしているのでしょう
ずっと懸案だったこともようやく解決して
少し、ホットしているところです。
ご好意の有り難さと、
いつまでもご好意に甘えていられない現実に
自分の非力さを噛み締めています。
演劇の環境はますます厳しく
自分のできる範囲などたかが知れていて
どこまでできるのか
いや、どこまでできるものか
自分でも答えはみつけられません
だだ言えることは
とにかく、今できることをやっていくしかない。
いい作品にします。応援して下さい。
みなさんの励ましが糧です。




horikawa_g at 11:32コメント(2)トラックバック(0) 
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