2010年02月
2010年02月08日
2010年02月02日
昨日、我が家の窓から雪景色を眺めて、ああ、冬だと感じていました。雪があって、始めて冬を感じるのは私が道産子だからです。子供の頃は雪で遊ぶことがあたりまえで、身体を使っておもいっきり雪の中を転げ回ってました。それでいて、吹雪いた時は全てを閉ざす怖いものでもあり、また、溶けてしまう儚い存在でもあって、肌でその怖さや儚さというものを感じて育っています。曾祖父や祖父の世代は今と違ってお互いに助け合わなければ凍死してしまう、死と直結してます。ですから、自然と相互扶助が身に付いていた。ただ、私の育った札幌という街は、明治に西洋文化の影響を受けて合理的に作られていますので農村のような家の縛りがない。個々との結びつきが強く、家というものに対する価値観が薄いのです。それに、江戸と同じく生産するのではなく消費する街ですから、どこか刹那的なところがある。宵越しの金は持たないと啖呵を切る江戸っ子気質にちょっと似ている。明治、大正、昭和、平成と歴史が積み重なったとはいえ、まだまだ縦の絆は浅い。やはり、日本の中でも特殊な街だろうと思います。あたりまえですが、私という人格形成において、札幌という街、雪という存在を抜きにしては考えられないわけで、しみじみ…ああ、雪だなぁ…