2006年08月
2006年08月24日
2006年08月23日
お稲荷様の行事のひとつで、旧暦の二月の最初の初午の日にお祭りがありました。
当時はとっても賑わって大人から子供までお祭りを楽しみました。
この日ばかりはどんなに騒いでも、大人は叱らないことになっていて、
子供達が太鼓を盛大に叩いて囃し、おひねり(お小遣い)を頂いては練り歩きました。
「心中初午桜」の物語は、姉と妹が同じ男を好きになったばかりに、
この賑やかな日に起きてしまった悲劇なの。
えっ? なぜお稲荷様は狐なのに午なのか?
実はね、お正月で本宮にお出かけになっていたお狐様が馬に乗って
お帰りになるのをお迎えする行事とのことです。
なるほどねぇ…???
でも、どうやって馬に乗るのかしらねぇ…
変よねぇ…狐なのに…。
もしもし、あのぉ…やっぱり…もう少し頭を…。
当時はとっても賑わって大人から子供までお祭りを楽しみました。
この日ばかりはどんなに騒いでも、大人は叱らないことになっていて、
子供達が太鼓を盛大に叩いて囃し、おひねり(お小遣い)を頂いては練り歩きました。
「心中初午桜」の物語は、姉と妹が同じ男を好きになったばかりに、
この賑やかな日に起きてしまった悲劇なの。
えっ? なぜお稲荷様は狐なのに午なのか?
実はね、お正月で本宮にお出かけになっていたお狐様が馬に乗って
お帰りになるのをお迎えする行事とのことです。
なるほどねぇ…???
でも、どうやって馬に乗るのかしらねぇ…
変よねぇ…狐なのに…。
もしもし、あのぉ…やっぱり…もう少し頭を…。
2006年08月19日
2006年08月18日
唄浄瑠璃狂言「心中初午桜」の紹介用小見出しに書いてある、
あの世とこの世の狭間で彷徨うがきあみの姿がふたつ…の
がきあみ、って何? とよく聞かれます。
小栗判官の物語を知っている方には説明しやすいんですけど、
ふつう、知らないと思うのでちょっとご説明。
地獄に落とされた小栗が、忠義の家来の嘆願でこの世に戻った時の姿が
がきあみ つまり、餓鬼道の餓鬼と阿弥陀の阿弥をつなげた言葉で、
餓鬼阿弥、になります。
で、がきあみの姿 となった小栗を救うのが照手姫。
照手姫の献身が阿弥陀様に通じて人間の姿に戻れて、幸せになるという仏教説話です。
で、私が拡大解釈をしまして、
地獄に落ちた姉妹の情念を残したまま救われずにいる姿が、
がきあみの姿 というわけです。まあつまり、
怨霊となってしまったもののけの姿とでもいいましょうか…
わかっていただけました?
えっ、凝りすぎ? 説明聞いてもわからない? そうかしらねぇ…。う〜ん。
やっぱり、もっともっと日本の古典を知ってもらうために頑張るぞぉ。
あの世とこの世の狭間で彷徨うがきあみの姿がふたつ…の
がきあみ、って何? とよく聞かれます。
小栗判官の物語を知っている方には説明しやすいんですけど、
ふつう、知らないと思うのでちょっとご説明。
地獄に落とされた小栗が、忠義の家来の嘆願でこの世に戻った時の姿が
がきあみ つまり、餓鬼道の餓鬼と阿弥陀の阿弥をつなげた言葉で、
餓鬼阿弥、になります。
で、がきあみの姿 となった小栗を救うのが照手姫。
照手姫の献身が阿弥陀様に通じて人間の姿に戻れて、幸せになるという仏教説話です。
で、私が拡大解釈をしまして、
地獄に落ちた姉妹の情念を残したまま救われずにいる姿が、
がきあみの姿 というわけです。まあつまり、
怨霊となってしまったもののけの姿とでもいいましょうか…
わかっていただけました?
えっ、凝りすぎ? 説明聞いてもわからない? そうかしらねぇ…。う〜ん。
やっぱり、もっともっと日本の古典を知ってもらうために頑張るぞぉ。