2014年11月17日

 もう今年から、津上先生と年賀状をやりとりすることも芝居に来ていただくことも無くなってしまうのかと、ふと、会場に掲げられた先生の遺影を見て思った。九十歳、如水会館でのお別れ会でのことだ。先生が関わられた公演の数々がスライドで紹介され、ああ、昭和の演劇史を歩まれた方なのだと改めて思う。あまり、お話を聞かせていただく機会がなかったが、有り難い事に著作の本を残してくださった。学ぶことは多い。
 長唄の和歌山富野師匠も先日、突然、お亡くなりになった。10月の米寿の会でとても良い声を聞かせてくださったばかりだった。体調をくずされたけれどお元気になったと聞いていた。富野師匠も、昭和の女流長唄を背負い長唄界の歴史を歩まれた方だった。もう唄をお聞き出来ないのは寂しく残念なことではあるけれど、遺族の方もお力落としの事と思うけれど、最後に米寿の会を祝うことができて舞台人としてお幸せだったのではないだろうか、舞台でのお姿が浮かぶ。
 生き様も死に様も難しい。私などは、まったくどうしようもない生き様だし、きっと死に際もみっともなく無様なものだと思うので、せめて覚悟して生を全うしたいものだ。
 おふたりのご冥福を心から御祈りいたします。

horikawa_g at 19:12コメント(0)トラックバック(0) 

2014年10月14日

もし、私の作品の演出をお願いするとしたら、宮城聡だろうと思った。音楽に乗せられて語られる台詞。そして二人一役の演出は、詞の役者と肉体の役者のエネルギーによって奏でられる。美術は木津潤平氏だ。もし、藤戸を彼が演出したら…そんなイメージが膨らんだ。私も古典を私の場合は日本の古典に拘っているが、現代演劇として構築し直すという作業をしている。自分の世界を作っているという自負はある。邦楽の音楽世界と演劇が融合された空間だ。そして、古典もそのままではなく新作として書き直している。だが、あらたな様式を手に入れるのは容易ではない。宮城氏は見事だ。役者の演じる様式に、私は悩みつづけているからだ。う〜む。

horikawa_g at 18:04コメント(0)トラックバック(0) 
 舞台美術の木津潤平の世界に圧倒された。この作品の世界観が見事に描かれている。演出の三浦基は、登場人物をその世界の点描のように配置する。これは現代の歌舞伎だと思った。歌舞伎には絵面といわれる型がある。まさしく、これは動く絵の世界である。「光のない。」という作品の意図は、視覚と聴覚(いわゆる台詞ではない)、つまり絵と音の中に認識させられるのだ。むろん、歌舞伎は台詞劇ではあるが、あの歌舞伎独特の台詞回しは、やはり歌舞伎のものだ。「光のない。」が産み出す独自性は歌舞伎のように他を圧する。少し、残念に思うのは、舞台美術に演劇そのものが付随しているように感じてしまうことだろう。いや、演出意図としてそうしたのかもしれない。この作品においては、物語性というよりも感受される感覚が重要なことだからだ。
 三浦基氏は劇場についてプログラムで言及しているが、まったく同感だ。私が、歌舞伎の、前進座劇場を惜しむ気持ちが強かったのもその為だ。文楽も実のところ、演芸場でやる方が相応しいと思っている。集客ができないから小さい劇場でやるのではない。その芸能に見合った劇場というものがあるのだ。私の場合、小劇場も好きだが生の演奏に拘っているので中劇場の規模が最適だと思っている。しかし残念なことに、劇場運営もこの規模では採算が難しい。中劇場が次々と姿を消しているのは記憶に新しい。そして、エンターティメンとして華やかなスターを揃え、採算のとれる大劇場に観客を押し込み観劇料の階層化が図られる。つまり、金のある者は良い場所で、無い者は三階席で…やめよう…三浦氏にならって…
 今回、彼は大劇場に臨んだが、この劇場が持っている空間がしっかりと生かされており、演劇表現としては成功していたと思う。たしかに思ったよりも観客は満席ではなかったが、観客達の反応は二極化していた。圧倒されて前のめりに観ている者とそうではない者。そうではない者は台詞劇に馴染み過ぎて他の表現にたいし拒絶反応を示しているのか、はたまた、好みの問題であって、前のめりの観客こそが、三浦氏の真の意味での理解者であろうと思う。
 ところで、この少し前にSPACの「ラーマーヤナ」と東京ノービィ・レパートリーシアターの「古事記」(これも台詞劇ではなかった。)を観劇して感じたのは、確実に新しい演劇の風が吹き始めたということだ。祝福あれ!!
「古事記」の観劇感想はシアターΧ批評通信に掲載しているのでご一読いただければ嬉しいです。


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2014年10月07日

今月の4日に、和歌山富野師匠の八十八歳、長唄米寿の会に行ってきました。とてもとても声に艶があって年齢を感じさせません。やはり積み重ねだとつくづく思います。身体や声が出来ているからこそ。現役の、和歌山富野、なのだと思いました。
池田先生のお話も、やっぱり面白かったですね。紋付袴がとってもお似合いでした。
老人は年齢じゃないですね。若くても年寄りはいるし、老人とはいえない方々もいらっしゃいます。
22日は望月太左衛師匠の鼓楽庵の演奏会に出演です。
もちろん、行きます!!  これは 私のお仕事ですし…うふふ…


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2014年09月29日

貴音康の三味線は味があっていいですねぇ。それに、囃子の堅田喜三久、今藤政太郎の三味線、長唄の宮田哲男、新内の仲三郎と今月は人間国宝の目白押しでしたが、次世代を継ぐ宮之助の新内、越孝の浄瑠璃もますます磨きがかかって良かったです。そして、これからどんな音色を味あわせてくれるかと楽しみな若手も発掘しました。芸は個人のものだとつくづく思います。若い頃の華から年齢を重ねて味わい深くなるのは個人の資質ですからねぇ。それにしても演奏会の集客にバラツキがあって、相変わらず企画ものは入りますが定期演奏会は難しくなってます。それと、観客の高齢化。これは能でも感じますね。危機を感じていた堀上先生の評論が現実のものとなっています。これから、若手は自ら道を開いていかなければいけないわけですが、考えてみれば、芸能はもともとそうしたものであったと思います。頑張りましょう


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horikawa_g at 16:42コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月28日

友人の稲田さんが浪曲ミュージカルを公演するというので、友人と木馬亭に行く。面白かった!!  とにかく笑った。はっきりいって、内容なんて無い。それでいのだと思う。だって、あんまり面白くって、満席の(立ち見まで出ていた。高をくくって10分前に行った私は補助席だ。そのせいでお尻が…体重を減らそうと真剣に思った…)お客様が大声で笑い、舞台と掛合い、楽しんでいる。それこそが大事なのだ。憂き世の憂さを晴らして、大いに笑って、それこそが大衆の為の喜劇というものだと思う。
私が偉そうに講釈しているようだけれど、私が尊敬する郡司先生が、その大衆の熱こそが大事だと書いているのだ。うむうむ。しかも、木馬亭の名物女将さんが受付で迎えてくださる。昭和の世界にトラバーユしたような世界に、いやぁ、これは現実かと思う。皆さまも是非、浸りに行って下さいませ。
稲田さんの次回作の銭湯開始は9月の公演です。
浅草よいとこ一度はおいで、ヨイヤサノサ、木馬亭を知らなきゃ損をする、ヨイヤサノササ…友人は笑い疲れたと帰っていった。私は両国に講談を聞きに連チャン。駅で別れる。
ところで、リトルシアターというのがやっぱり浅草にあって、9月10日に友人の女優さんが出演する。荘司さんと行く約束をした。ほんと、浅草は愉快だね。続きを読む

horikawa_g at 14:28コメント(0)トラックバック(0) 
鼓楽庵を主宰している望月太左衛師匠がスロベニアで日本の音、鼓を響かせます!!
ワオ!! なんて素敵なのでしょう。
源氏物語「玉櫛笥」で、師匠の音色の魅力はもうご存じですよね。
皆さま、これからも楽しみにしていてね。応援、宜しく!!

horikawa_g at 13:25コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月21日

あまりプライベートなことを書かないでいたのだけれど、実は、身体障害者になってからも頑張ってくれていた舅が、姑の新盆の八月十五日に亡くなりました。姑が迎えに来たのでしょう。今頃はふたり仲良く再会を喜んでいると思います。姑は十年間、痴呆で寝たきりでしたが昨年亡くなっています。
思えば、平成7年の阪神淡路大震災で夫の実家を失ってからの介護の十九年間でした。はたして良かったのか悪かったのか解りませんが、舅も姑もひとり息子に看取られて人生を全うすることができたのですから、幸せだったと思いたいです。
私の母も片目を失明して肺ガンで亡くなっていますし父も昨年に亡くなっていますので、一応、子としての努めは果たしたことになりますかね。
 今も災害に遭われている方々、東北の復興に力を注いでおられる方々がおられます。大変ですが、それでも、日本は戦争をしていないから、ちゃんと介護の方法もあるし、問題はあっても復興に力を注ぐこともできます。渦中にいる時は、そんなこと、考える余裕もなかったけれど、あらためて親の人生を考えていたら、青春時代は戦争の真っ最中だったのだなぁと‥ちょっと考えさせられました。いろいろと人生は大変なのだけれど、せめてね、平和な世の中であって欲しいものです。八月十五日は終戦記念日です。
 親の介護を通して私が学んだことは、大切に生きることと、自分が管理できる範囲以外の物はいらないということです。多くは宝の持ち腐れのままゴミになるだけで、しかも、その後始末をさせるのは傍迷惑なだけです。それに、人を蔑ろにする金儲けだけの人生なんて馬鹿馬鹿しい。死んで、お金は持って行けません。本当の勝ち組の人生、精神的な豊かさを求めることの方が素晴らしい生き方なのだと思います。
私にできることは、芝居を作ること。頑張りたいと思います。
人生を楽しみましょう!!

horikawa_g at 19:47コメント(0)トラックバック(0) 

2014年06月27日

実は、乙女文楽を始めて鑑賞しました。女性だけの人形遣に、女性だけの義太夫との組み合わせです。今の時代、こういう世界観はなかなか面白いと思いました。実は、構想に悩んでいたのですが、ちょっとだけ、見えてきたような気がします。う〜む。

horikawa_g at 16:19コメント(0)トラックバック(0) 
希扇会はいつも、いろいろな工夫があって楽しいですね。囃子の堅田喜三久師匠も実に楽しそうに演奏していらっしゃいました。尺八も良かったですし、六綾師匠の三味線も堪能しましたよ〜

horikawa_g at 16:00コメント(0)トラックバック(0) 
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