2015年04月01日

誰が見ても、空母に見える護衛艦だ。
ある哲学者が、どれほど政治が腐敗していようとも、戦争よりはましだ。と言ったらしい。
独立した国は自国の軍隊を持っている。軍隊を持たない日本は、だからアメリカの植民地のままだと言った方がおられるらしい。自衛隊はあくまでも軍隊ではない。のだそうだ。
後藤健二さんが非業の死を遂げられたことは記憶に新しい。
戦争をしている国で殺されてしまったが、
それでも彼は、武器を手に戦うことを望みはしない。
目の前の現実とはなんであろうか。それは今、生きている私達がつくっているものだ。
私達は何を望むのか。
戦後、日本は武器を使わずに平和を維持し、高度成長によって経済発展を遂げた。
それは歴史的にみても奇跡に近いことだと思う。他国の人々が日本という国に興味を持ってくださるのも、そうしたことと関係があるのではないだろうか。
不景気だ。まず経済成長だという。だが、本当に、それが必要なのだろうか。
物に溢れていても、人が幸せになれるとは限らないことに私達は気がついた。
金がなければ何も買えない。金のためなら人を騙し、殺しもする。
使い捨てる時代はもう、必要ない。少子高齢化の中で、文化的な豊かさを求めるべきなのだ。
精神的なゆとり社会だ。
ゆとり社会では世界の競争に負けると誰かが言っているのを聞いた。
本当にそうだろうか。
競争社会はストレスを生む。
そして、そんな国は、一部の特権階級と富裕層がいる社会だ。
最近出た経済学の著書で、それが問題だと警鐘を鳴らしているではないか。
世界の国々は、そういう国ばかりではない筈だ。
経済は文化活動の中で循環するのが望ましい。と私は思っている。
戦争は若者を殺す。文化は人を殺さない。文化は人を育てる。文化は仲間を作る。
文化交流は互いの文化を理解しあえる。そして文化には技術が求められる。
政治思想など、私には無い。
ただ、平和であって欲しい。貧富の差がなくなって欲しい。
そして、高齢者にやさしい、子育てがしやすい社会になってほしい。
と、世界のほとんどの人と同じように、思っているだけである。


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2015年03月30日

いや〜久しぶりに、感動して、面白かったです。能の翁と文楽の三番叟の組合せです。それが素晴らしかった。
文楽の、この二人三番叟ももともと能の翁からきている祝福芸能です。静と動、流石の舞台でしたね。時間があっという間でした。それに、なんといっても、能は徳川家幕府によって武家の式楽として発展した芸能。文楽は庶民が育てた芸能です。これが江戸時代であったら、けっしてありえない出来事なのです。今、私達の時代だからこそ、こうして一緒の舞台で楽しめるわけで、私の興奮は暫く冷めませんでした。
そして、そして、この舞台は、なんと、女性の囃子だったことも快挙でありました。
ああ、本当にありえない出来事ばかりの、素敵な、素敵な能と文楽の公演でありました。
舞台は一期一会、この瞬間に立ち会えた祝福を皆さまにも!!
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horikawa_g at 15:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月22日

先日、先生の教室に伺って、少し雑談になった時のことです。
子供たちの指導をされる時に、『 生まれた時代も、場所も、親も、自分では選べない。それは世界中のどの国の、どの子供も同じだ。けれども、唯一、自分で決める事ができることがあります。それは、どういう人生を歩かということだ 』と、お話をされるとお聞きしました。本当に感動しました。
人生に対する心構えというもの、それを諭してくれる大人に出会うことができるか、それによって子供達の人生は大きく変わってきます。教育ということは、そういうことだろうと思います。
私にも、人生の指針にしている言葉がいくつかあります。先人の言葉に学ぶ事が多いのです。
本当に人生は思い通りにならないものです。悩むことも多い。
良い選択をすることで、素晴らしい方との出会いのチャンスも生まれてくるものだと、私も人生の中で学びました。
私は先生の書が大好きなのですが、やはり、お人柄が書の大きさに出ています。
その道の一流の方というのは、やはり違いますね。



horikawa_g at 12:26コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月23日

あの、端正な中に飄々として独特の雰囲気が素敵な方でした。それにしても、歌舞伎役者として盛りのこれからますますという時期に亡くなるというのは‥勘三郎丈とも名コンビでしたから、相次いで歌舞伎界もショックなことだと思います。残念でなりません‥。

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horikawa_g at 19:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月23日

殺してはなりません。
殺してはならないのです。
たとえ、どのような理由があろうと
子供達の未来に
刃を向けてはいけないのです。
それが、
家族や子供達の未来の為だと、あなたは考えていても
振り上げた刃は怒りとなって
子供達の未来は閉ざされてしまうのです。

どうか、神さまにお願いします。
慈悲をお与えください。
子供達の未来の為に
平和の使者を殺さないでください。


horikawa_g at 16:53コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月07日

お正月は如何でしたか。今年はどんな年になるでしょう。私は11月の公演に向けて執筆中です。「道成寺異聞」(仮題)。ご存じと思いますが、清姫が大蛇に化身して鐘の中に隠れた安珍を鐘もろとろ焼き殺す物語です。まぁ、私のことですから、ちょっと違う道成寺の物語になります。期待してくださいね〜。期待していない方も、是非、是非、観に来て下さ〜い。

horikawa_g at 17:52コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月04日

自民党が圧勝したときは、民主党の迷走が続いて期待感が失せていたところへ、自民党からの揺さぶりに押し切られて解散しての選挙だったように思う。今回は、どこへ投票して良いのかわからず、嫌気がさしている人がほとんどで、今なら勝てると読んでの解散選挙らしい。う〜む。本当にそれで良いのだろうか。選挙にいくらかかるのか、国の税金の無駄遣いは止めて欲しい。
とはいえ、私達の意志を伝える唯一の機会が選挙だ。
私達は少子高齢化が進む日本で、どんな世の中を望んでいるのだろう。
消費の拡大というけれど、私は国民が不必要、不用なものを買わなくなっただけだと思う。物欲を煽るのはもうやめにして欲しい。それよりも、高齢者福祉が大事なのではないだろうか。介護負担の軽減を考えて欲しい。消費税はそのためのものではなかったのか。若者の雇用についても、かつて、セーフティネットを充実させると称して構造改革をしたけれど、ブラック企業が出現し、所得格差の拡大も広がった。反省点は多い。
災害も続いた。地震国の日本に原発は本当に大丈夫だと云えるのだろうか。そう言っていたが福島原発事故で現実になった。対岸の火事ではないのだ。国内ばかりではない。領海問題は深刻だし、中国からの大気汚染の問題もある。しかし、我が国は大気汚染を克服してきた技術を持っている。外交交渉になるだろう。沖縄はどうか。軍事産業で経済が成り立っている国は、つねに戦争を必要とする。戦争はいつも人々を傷つけ不幸の種を蒔く。目には目をで良い筈はない。そのスパイラルを変えていく努力が必要なのだ。近隣諸国との関係はパワーゲームではない。
理想と現実は違うとよく聞く。本当にそうだろうか。理想の絵空事も、必ず現実になる。何を望み、努力するかなのだ。今は当たり前のことだが、数百年前に飛行機は飛んでいなかった。数十年前にはパソコンも無かった。第一、祖母の時代には女性の選挙権もなかったのだ。今こそ、私達は考えなければいけないのだと思う。候補者の誰が、何を主張をしているのか、私はよく見極めたい。
貴重な一票を相手の思惑に踊らされるのだけはごめんだ。

horikawa_g at 20:59コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月17日

 もう今年から、津上先生と年賀状をやりとりすることも芝居に来ていただくことも無くなってしまうのかと、ふと、会場に掲げられた先生の遺影を見て思った。九十歳、如水会館でのお別れ会でのことだ。先生が関わられた公演の数々がスライドで紹介され、ああ、昭和の演劇史を歩まれた方なのだと改めて思う。あまり、お話を聞かせていただく機会がなかったが、有り難い事に著作の本を残してくださった。学ぶことは多い。
 長唄の和歌山富野師匠も先日、突然、お亡くなりになった。10月の米寿の会でとても良い声を聞かせてくださったばかりだった。体調をくずされたけれどお元気になったと聞いていた。富野師匠も、昭和の女流長唄を背負い長唄界の歴史を歩まれた方だった。もう唄をお聞き出来ないのは寂しく残念なことではあるけれど、遺族の方もお力落としの事と思うけれど、最後に米寿の会を祝うことができて舞台人としてお幸せだったのではないだろうか、舞台でのお姿が浮かぶ。
 生き様も死に様も難しい。私などは、まったくどうしようもない生き様だし、きっと死に際もみっともなく無様なものだと思うので、せめて覚悟して生を全うしたいものだ。
 おふたりのご冥福を心から御祈りいたします。

horikawa_g at 19:12コメント(0)トラックバック(0) 

2014年10月14日

もし、私の作品の演出をお願いするとしたら、宮城聡だろうと思った。音楽に乗せられて語られる台詞。そして二人一役の演出は、詞の役者と肉体の役者のエネルギーによって奏でられる。美術は木津潤平氏だ。もし、藤戸を彼が演出したら…そんなイメージが膨らんだ。私も古典を私の場合は日本の古典に拘っているが、現代演劇として構築し直すという作業をしている。自分の世界を作っているという自負はある。邦楽の音楽世界と演劇が融合された空間だ。そして、古典もそのままではなく新作として書き直している。だが、あらたな様式を手に入れるのは容易ではない。宮城氏は見事だ。役者の演じる様式に、私は悩みつづけているからだ。う〜む。

horikawa_g at 18:04コメント(0)トラックバック(0) 
 舞台美術の木津潤平の世界に圧倒された。この作品の世界観が見事に描かれている。演出の三浦基は、登場人物をその世界の点描のように配置する。これは現代の歌舞伎だと思った。歌舞伎には絵面といわれる型がある。まさしく、これは動く絵の世界である。「光のない。」という作品の意図は、視覚と聴覚(いわゆる台詞ではない)、つまり絵と音の中に認識させられるのだ。むろん、歌舞伎は台詞劇ではあるが、あの歌舞伎独特の台詞回しは、やはり歌舞伎のものだ。「光のない。」が産み出す独自性は歌舞伎のように他を圧する。少し、残念に思うのは、舞台美術に演劇そのものが付随しているように感じてしまうことだろう。いや、演出意図としてそうしたのかもしれない。この作品においては、物語性というよりも感受される感覚が重要なことだからだ。
 三浦基氏は劇場についてプログラムで言及しているが、まったく同感だ。私が、歌舞伎の、前進座劇場を惜しむ気持ちが強かったのもその為だ。文楽も実のところ、演芸場でやる方が相応しいと思っている。集客ができないから小さい劇場でやるのではない。その芸能に見合った劇場というものがあるのだ。私の場合、小劇場も好きだが生の演奏に拘っているので中劇場の規模が最適だと思っている。しかし残念なことに、劇場運営もこの規模では採算が難しい。中劇場が次々と姿を消しているのは記憶に新しい。そして、エンターティメンとして華やかなスターを揃え、採算のとれる大劇場に観客を押し込み観劇料の階層化が図られる。つまり、金のある者は良い場所で、無い者は三階席で…やめよう…三浦氏にならって…
 今回、彼は大劇場に臨んだが、この劇場が持っている空間がしっかりと生かされており、演劇表現としては成功していたと思う。たしかに思ったよりも観客は満席ではなかったが、観客達の反応は二極化していた。圧倒されて前のめりに観ている者とそうではない者。そうではない者は台詞劇に馴染み過ぎて他の表現にたいし拒絶反応を示しているのか、はたまた、好みの問題であって、前のめりの観客こそが、三浦氏の真の意味での理解者であろうと思う。
 ところで、この少し前にSPACの「ラーマーヤナ」と東京ノービィ・レパートリーシアターの「古事記」(これも台詞劇ではなかった。)を観劇して感じたのは、確実に新しい演劇の風が吹き始めたということだ。祝福あれ!!
「古事記」の観劇感想はシアターΧ批評通信に掲載しているのでご一読いただければ嬉しいです。


horikawa_g at 13:48コメント(0)トラックバック(0) 
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