2016年01月13日

安珍の衣装は、修験者や僧の墨染の衣のように一般的に知られている衣装にはしませんでした。かなりデフォルメしています。この時代は神仏習合ということもあり、また、この時代の着物はまだ日本化されていませんでしたので自由にデザインしてみたのです。
「清姫異聞」での安珍は、奥州の低い身分の出身ということになっていますので袴の色を濃い鼠色にして、あえて全身を墨染めにしませんでした。そして、安珍は修験僧になりましたが都に登って出世をしようとする野心家です。なので、都の権威を紫の鉢巻と後ろ姿の垂れで表現してみました。それと、女性達の衣装とのバランスも考えて、少し華やかな感じも持たせています。黒地に木を幾何学的に配した黄色の柄が入った袖にしました。これはもちろん、龍神池の森をイメージしたものですが黒と黄色という色彩で華やかにしています。帯にも清姫と同じ水色の布をあしらってみました。そうすることで、ふたりの関係を示しています。
数珠がないと陰陽師に見えなくもないので、首に数珠を下げて手にも持たせています。これで祈祷する僧の雰囲気が出ています。
今までの安珍の衣装といえば大抵はお坊さんの墨衣なので、皆様の反応が少し気になりましたが、井上さんは背が高く着映えもしたせいでしょうか、カッコイイとなかなかの評判でした。続きを読む

horikawa_g at 18:43コメント(0)トラックバック(0) 
清姫の衣装は、清姫の名に相応しく、春の清らかな水と花がイメージされた乙女らしい清純な純潔を表す衣装になっている。
それが、安珍に裏切られて炎のような赤い衣装へと変化するのだ。左右が繋がった振り袖は清姫の執念に見立てられ、巻き付く大蛇となって安珍を追いかける。
やがて、清姫の執念は灼熱地獄へと身を落とし、龍神の怒りによって龍女に化身することになる。
龍女の衣装は清姫の清純と燃えたぎる執念の白と朱赤の片身代わりだ。帯は鱗に見えるような柄の一反の布を用いて光るビーズの刺繍が施されている。片袖には朱色で龍の書が描かれており、髪飾りには水引の飾りを用いて格調高く龍女を表現して存在感を出している。
清姫役の長坂さんは立ち姿が美しいので衣装がよく映えていたが、三度の衣装替えは、たんに美しく見せているだけではなく、それぞれの清姫の性根が表現されているのだ。
ところで、片袖の書は書道家の堀野哲仙先生の書を使わせていただいているので贅沢な衣装になっている。なぜ、片袖に書を用いているか。もちろん、意味があるのですよ。
昔は、恋人と別れる時、自分の身代わりとして片袖をちぎって相手に渡して、無事にまた会えるようにと祈ったのです。そんな恋心を歌った和歌がありますので、探してみてね。
ということで、清姫を捨てて安珍は逃げたわけですが、龍女に化身した姿の片袖には清姫のいじらしい心根が無惨に引き裂かれた意味を持たせているのです。しかも、実は哲仙先生は、袖に書かれた龍という文字のテンを雨の雫、涙に見立てて書いてくださっているのですよ。にもかかわらず、終わった頃にはかなりボロボロ…紙なので、ああ、こればかりは仕方がなく…泣き…。先生、御免なさい。続きを読む

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新春のお慶びを申し上げます。
久しくお目にかかっていないのですが、私も時々、ブログを拝見しているせいか、お会いしているような気がしています。コメント、ありがとうございます。そして、私の演出を好きだと云ってくださって嬉しいです。また、一緒にやりたいですね。今年は、拘りについて、ブログに書いていこうと思っていますので宜しくお願い致します。更新の回数を増やすようにしたいなぁ…。

horikawa_g at 18:09コメント(0)トラックバック(0) 
年明けの話題にしては、ぞっとしない演目だけれど、今年は拘りについて書こうと決めたので書く事にした。年の瀬に年賀状を書く時間を潰して(ご免なさい)無理しただけの甲斐があった。
国立劇場文芸研究会補綴の四世鶴屋南北の作品。近頃はケレン味に押されてそうした場ばかりが目立つが、今回は発端の場を入れ込むなどの工夫があり、表の忠臣蔵の世界に対して裏の忠臣蔵の世界をくっきりと際立たせている。
染五郎のお岩がいい。毒薬と知らずに有り難いと手を合わせ飲む様子を、染五郎はじっくりと描く。静かな間に細い糸のような緊張が満る。髪を梳く姿にもお岩の情念が滲みて、ぞくっと背筋にくる。この間のとりかたが素晴らしかった。観客が固唾を飲んで見守っている空気が何よりの証だろう。南北が本当に描きたかったのは、忠臣蔵の美談ではなく、その影に沈んでいった人々の哀しみだったのだということがよくわかる。
戯作者の南北は、歌舞伎の常識から外れた特異な存在だったと思う。長い間、周りから認められる事がなかった。生世話を書く南北を理解する人間が少なかったのだ。現実離れした夢の世界ではない、欲望に翻弄される人間達を舞台に登場させたのだから、当時の人はその生々しさに驚いたことだろう。ケレンを取り入れる工夫によって人気を得たとしても、南北は己の描く世界に拘って生きた戯作者だった。だから、東海道四谷怪談は名作になったのだと思う。

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今年は1月五日の新春おさらい会、前進座演技部の公演から始まった。
それぞれの役者さん達が日頃の公演の合間に稽古を重ねてきた成果を発表する。無料での公演だから、持ち出しも多いことと思う。僅かな足しにしてもらおうと菓子を購うのを止めて楽屋見舞いを包む。
でも、そんなことは別にして、心意気を感じさせるいい舞台だった。普通のおさらい会は素人さんによる芸の発表会が多いが、プロの役者さん達の会なので、多忙の中で、通常の芝居以外の稽古をするのは大変なことだが、流石にへたな芝居を見るより見応えがある。新春の喜びを十分に味わって帰宅した。

horikawa_g at 13:40コメント(0)トラックバック(0) 

2016年01月01日

皆様、明けましておめでとうございます。
といっても、すでに日暮れて夜になってしまいましたが
元旦のご挨拶を!!
今年は、私の作品への拘りについて
アレコレ書いてみようかと思っています。
どうぞ、宜しくお願い致します。
そして、目出たい年にしたいですね。
寿ぐ、猿回しがあるぐらいですから、
申年は笑顔の多い年に!!

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2015年12月01日

お陰様で「清姫異聞」無事に終了いたしました。本当に、役者さん達がよく頑張ってくださいました。
白石さん、荘司さん、前園さん、そして、長坂さん、井上さん、ありがとうございました。
義太夫の竹本越考師匠、笛の望月美沙輔師匠、小鼓の望月太左衛師匠、本当に素敵な舞台でした。
そして、照明の小関さん、ありがとうございます。とっても助けていただきました。オペレーターの稲垣さん、舞台監督助手の卓さん、演出助手をしてくれた向笠さん、小関組のスタッフの皆さま。美術の星埜さんも大変な中よく頑張ってくださいました。衣裳の利さんも早替えが多い今回の衣裳に、本当によくやってくださいました。オフィス樹の制作の皆さんもありがとう!! そして、書の堀野先生、ご協力をありがとうございました。書の衣裳はとても評判が良かったです。松井さんもお力添えをありがとうございました。芝居だけは独りの力では出来ません。総合力があってこそだとつくづく思います。
御覧になっていただいたお客様は、その総合された舞台に感動されます。私の一番の喜びの時です。
観劇した後の満足したお客様の喜びの声に、私も感動させていただいています。
本当に、本当に、皆さま、ありがとうございました。お疲れ様でした!!



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2015年11月05日

本読み、荒立ちといった稽古が終わり、いよいよ、本格的なお稽古に突入中です。緊張した中で、だんだんと感情も尖ってきますが、稽古が終わるとホッと笑顔が戻ります。休憩に入ると笑いの絶えない稽古場です。そして、あそこはこうしよう、あれはこうしようとお互いに知恵を出し合うのです。何しろ新作ですから、各自のポジションで最高の舞台を目指しておしゃべりが絶えません。私も頭を抱えながら、う〜むむ、う〜むむ。助けてもらいながらの演出です。ちょっとね、悩むわけです…続きを読む

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2015年09月25日

 あれは、いつだったでしょう。省庁再編です。確か、小泉総理の時でしたね。防衛庁が、防衛省に格上げされました。皆さんは御存知でしたか? そうして、あれやこれやと布石が打たれてきました。軍としての機能を強化するには、やっぱり憲法九条は目の上の瘤ってことになります。
 あれはいつのことでしたかね。湾岸戦争の時です。日本はお金だけ出して血を流さないと批判されて、海外派兵のために支援部隊を送ることになりましたよね。で、その時も憲法解釈があって、歯止めになると言っていましたけれど、やっぱり支援部隊を強化しなきゃという事になってしまった。阿部総理のもと、憲法解釈で、とうとう強行採決されてしまいました。さて、次は、どうなるのでしょう。みなさん、心配になりませんか。私は心配です。
 インドを旅していた時です。知り合ったインドの方に、なぜ日本はいつもアメリカの肩を持つのかと質問されました。私は少し返答に困って、日本は戦争でアメリカに負けたからだと答えました。でも、私達はアメリカに負けたおかげで多くのものを手に入れました。それも確かなことで、この時に国の独立性というものを考えさせられました。私達はどんな国を望むのかということです。
 日本がアメリカの軍との関係を強化すると何がおこるのか。まず、海外で武器の使用ができるようになったのですから、殺し合いに自衛隊員は参加することになります。国内だってテロの標的にされる可能性を否定できません。例えば、渋谷や六本木で起きても不思議はないと思いませんか。
 知り合いに戦争反対と言ったら、左翼かと聞かれました。中国が尖閣諸島を狙っているのに、国防を強化しなきゃいけないというのです。韓国とも揉めていますし、北朝鮮も脅威だというのです。もう、そんな風潮の世の中になってしまった。それこそが、問題なのです。 
 ニュースを見れば、世界の状況は緊張関係になりつつあることが解ります。日本だけが傍観者ではいられません。理屈の通らない相手に素手で戦えというのか、確かにそうです。
 さて、そこなんです。ブッシュ大統領がテロの撲滅を叫んだ結果、戦争が拡大しました。今やイスラム国は脅威です。武器で戦って、本当に平和がくるのでしょうか
 ブッシュ大統領のお父さんのブッシュ大統領の時でしたよね、湾岸戦争が起きたのは、そうして、弱腰だとの批判も一部にありましたが最後まで追い詰めずに手を引きました。賢明な判断だったと思います。撲滅するという考え方こそ、とても危険な思想だと私は思います。ある哲学者はどんな政治でも戦争よりはましだと言いました。難しい問題ですが、戦争は最大の不幸です。
 国の政治に国民の不満が高まると外敵を作って、その不満を外敵に向かわせます。政治家の常套手段です。国民は利用されるだけです。歴史を知れば、納得できます。
 国の政治を変えることは容易ではありません。 
 私達は戦争を放棄した国の国民です。それは世界が知っています。その、憲法を破るとどうなるのか。私達は考えなくてはなりません。
 日本のほとんどの憲法学者は、今回の法案は違憲だといいました。それなのに、安倍内閣によって強行採決されたことは、どう考えれば良いのでしょう。国民が今の政権を選んだのは、このような結果を望んでのことでしょうか。
 思い出して下さい。武器を捨て、国を独立に導いた指導者がいます。
 国家間の緊張を解きほぐすのは、相手を理解する努力と理解してもらう努力しかないと思います。
 不正には不正だと叫び、弾圧には弾圧だと叫び、憲法違反は憲法違反だと叫びましょう
 私達はインターネットという武器を手に入れました。ひとりひとりが世界と会話ができるのです。
 平和を願うひとりひとりの力が必要な時だと思います。


horikawa_g at 11:05コメント(0)トラックバック(0) 
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